ステージの奥にある扉がガチャリと音を立てて開くと、大柄にも見える男が上下供に黒のYシャツとパンツに身を包んで現れた。
こう言う場合、僕は演奏者と言うものはタキシードなどの正装をして出てくるものなのかと思ったが、その男な着こなしはYシャツの胸元を割りと大きめに開け、パンツもぴったりフィットさせると言うよりは幾分ゆとりを持ったスタイルだった。
ラフな中にもどこか厳粛な感じを抱かせる、不思議な身なりだ。
事前に聞いていた通りの坊主頭だったが、その坊主と言うのもまるでお寺の住職さんのように短く刈り上げられていた為、なおさらそう思ったのかもしれない。
男はピアノの横に立つと軽く会釈をした。
さっきお店に入った時には客席もそんなに居なかった印象だが、いつの間にやら気づけば満席に近い状態で、会社帰りのような服装の人、パーティに立席するような正装に身を包んだ人、年齢性別様々な人たちが一斉に彼に拍手を送る。
男は拍手を聴き終えるまで深々と頭を下げ、それが鳴り止んだと同時に顔を上げると純白のピアノに向かって姿勢良く腰掛けた。
そしてふっと一息ついた。
次の瞬間だった。
先ほどまで温和な空気を織りなしていた男の顔は一変、強張った面持ちになり、それでも眼は何かを捉えて離さない程の睨みを利かせて突然一心不乱にピアノを弾き始めた。
姿勢も先ほどまで背筋をピンと伸ばしたそれとは大きく変わり、深い猫背のような姿勢に変わった。
彼の弾くピアノには譜面のようなものも置かれていたが、男は明らかにそれを見ては居なかった。
この世ではない場所、を見ているかのような。
快、とも不快とも取れない初めての感覚だった。
こんなお洒落なバーだ、曲もしっとりとして大人な空気を感じさせるようなBGM的な楽曲で来るのだろうと思っていた僕の予想は大いに裏切られた。
畳み掛けるように右手と左手を激しく、10本の指の隅々まで神経を尖らせながら、曲調としてはもはやメタルやハードロックと言ってもおかしくないような激しいリズムと転調を繰り返しながら男はピアノを転がした。
男は休みなく弾き続ける。
組曲、のような感じなのだろうか。
一曲一曲の節目を感じないが、先ほどまで激しく恐ろしいまでに叩き続けた鍵盤を突然優しく、慈しむように静かな旋律に乗せ変えた。
表情も先ほどとは打って変わり、もう何かを睨みつける様子はないが、どこか悲壮感を感じさせる表情だ。
僕は何かに取り憑かれたように彼を見ていた。
そして、先ほどまでの会う前の気持ちよりもより一層、その男に恋焦がれ、この目の前の異端なるピアノマンに魂を鷲掴みにされた。
例えばそこに性的な何かはあるかと問われれば形容しがたいが、それを超越した域で僕は一気に彼にのめり込んだ。
この男は、何を思い、何を感じ、今ピアノと向き合っているのだろう。
そして、同時に思うことがあった。
この男は、何にいったいここまで追い立てられているのだろう、とも。
一歩間違えば、死の香りさえも香って来そうな彼の佇まいに僕は胸が締め付けられるような気持ちさえした。
ピアノ、と言うその楽器をこの男が弾くことによって僕の心に何かが押し寄せる。
怒りや、哀しみ、やるせなさ。
そして更には愛、それに纏わる様々な心模様のようなものまで。
不思議だった。
未だ持って僕には恋人と言うような存在が居たことはなかった筈なのに、なぜか僕はそれをその瞬間、愛だと感じていた。
錯覚だったかもしれない、が。
仮に錯覚であったとしても、その人間には本来「わかるはずがない」、「あるはずはない」と言うものを呼び覚まし、それらを覆すのに充分なほど、この男のピアノには魔性があり、実に人間的な説得力があった。
ピアノだけではなく、それはもはやこの男が持ち得る人間性であり、本能に近いものだったかもしれない。
激しさを増し、静けさも刻み、弾き始めた彼のピアノも一通り様々な感情を撫で回し、掻き乱した頃、彼は最後の鍵盤を右手で叩いた。
ピーン、と言う高音が店内を包んだ。
こう言う場合、僕は演奏者と言うものはタキシードなどの正装をして出てくるものなのかと思ったが、その男な着こなしはYシャツの胸元を割りと大きめに開け、パンツもぴったりフィットさせると言うよりは幾分ゆとりを持ったスタイルだった。
ラフな中にもどこか厳粛な感じを抱かせる、不思議な身なりだ。
事前に聞いていた通りの坊主頭だったが、その坊主と言うのもまるでお寺の住職さんのように短く刈り上げられていた為、なおさらそう思ったのかもしれない。
男はピアノの横に立つと軽く会釈をした。
さっきお店に入った時には客席もそんなに居なかった印象だが、いつの間にやら気づけば満席に近い状態で、会社帰りのような服装の人、パーティに立席するような正装に身を包んだ人、年齢性別様々な人たちが一斉に彼に拍手を送る。
男は拍手を聴き終えるまで深々と頭を下げ、それが鳴り止んだと同時に顔を上げると純白のピアノに向かって姿勢良く腰掛けた。
そしてふっと一息ついた。
次の瞬間だった。
先ほどまで温和な空気を織りなしていた男の顔は一変、強張った面持ちになり、それでも眼は何かを捉えて離さない程の睨みを利かせて突然一心不乱にピアノを弾き始めた。
姿勢も先ほどまで背筋をピンと伸ばしたそれとは大きく変わり、深い猫背のような姿勢に変わった。
彼の弾くピアノには譜面のようなものも置かれていたが、男は明らかにそれを見ては居なかった。
この世ではない場所、を見ているかのような。
快、とも不快とも取れない初めての感覚だった。
こんなお洒落なバーだ、曲もしっとりとして大人な空気を感じさせるようなBGM的な楽曲で来るのだろうと思っていた僕の予想は大いに裏切られた。
畳み掛けるように右手と左手を激しく、10本の指の隅々まで神経を尖らせながら、曲調としてはもはやメタルやハードロックと言ってもおかしくないような激しいリズムと転調を繰り返しながら男はピアノを転がした。
男は休みなく弾き続ける。
組曲、のような感じなのだろうか。
一曲一曲の節目を感じないが、先ほどまで激しく恐ろしいまでに叩き続けた鍵盤を突然優しく、慈しむように静かな旋律に乗せ変えた。
表情も先ほどとは打って変わり、もう何かを睨みつける様子はないが、どこか悲壮感を感じさせる表情だ。
僕は何かに取り憑かれたように彼を見ていた。
そして、先ほどまでの会う前の気持ちよりもより一層、その男に恋焦がれ、この目の前の異端なるピアノマンに魂を鷲掴みにされた。
例えばそこに性的な何かはあるかと問われれば形容しがたいが、それを超越した域で僕は一気に彼にのめり込んだ。
この男は、何を思い、何を感じ、今ピアノと向き合っているのだろう。
そして、同時に思うことがあった。
この男は、何にいったいここまで追い立てられているのだろう、とも。
一歩間違えば、死の香りさえも香って来そうな彼の佇まいに僕は胸が締め付けられるような気持ちさえした。
ピアノ、と言うその楽器をこの男が弾くことによって僕の心に何かが押し寄せる。
怒りや、哀しみ、やるせなさ。
そして更には愛、それに纏わる様々な心模様のようなものまで。
不思議だった。
未だ持って僕には恋人と言うような存在が居たことはなかった筈なのに、なぜか僕はそれをその瞬間、愛だと感じていた。
錯覚だったかもしれない、が。
仮に錯覚であったとしても、その人間には本来「わかるはずがない」、「あるはずはない」と言うものを呼び覚まし、それらを覆すのに充分なほど、この男のピアノには魔性があり、実に人間的な説得力があった。
ピアノだけではなく、それはもはやこの男が持ち得る人間性であり、本能に近いものだったかもしれない。
激しさを増し、静けさも刻み、弾き始めた彼のピアノも一通り様々な感情を撫で回し、掻き乱した頃、彼は最後の鍵盤を右手で叩いた。
ピーン、と言う高音が店内を包んだ。
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by cogo3358
| 2017-03-24 02:30