木漏れ陽の憂鬱
白み空 紅き血潮の向こう
「はぁ、はぁ…」
男はある街の郊外、まだひと気のない街並みを息を切らし、脚を引きずりながら、何かに憑かれたような様子で彷徨っていた。
その顔には酷い青痣があり、口元からは一筋の血も流れていた。
泣き腫らした瞳からはもう涸れ果てる程に流した涙を更に止めどなく流し、息切れと供に嗚咽を漏らしながら彼は行く。
自分の行く当てなど当にこの世にはないと知りながら、それでも彼は燃える眼で世界を睨みつけていた。
やがて彼は朦朧とした意識の中、息も絶え絶えに電信柱に背を預け、膝を抱えて泣き伏せる。
「畜生、ちくしょう…」と震える声を上げ、その両の手に己の爪が食い込む程に強く握りしめながら。
彼の名前は、神田貴美男。
この時、22歳。
この物語は、彼が中嶋勝と知り合うまでのあの晩から遡ることおよそ三年の年月を前にした物語である。
貴美男は実の親から見放されてしまった孤児院での暮らしを、高校に進学と同時に一人暮らしを始めると言う形でピリオドを打ち、成績優秀、一時は教師の満場一致を買って生徒会長にと頼み込まれる程の品行方正、勉学の模範と言うような絵に描いた優等生だったが、それは、彼がこの先の人生を独りで生き抜いて行くしかないと思春期よりも以前に腹を括っていた自分の為の生き様であった為、自分にはそれは向いていないと押し寄せる大人たちの嘆願をものともせず、それよりも趣味の鍵盤を打ち鳴らすことに日々を費やしていた。
それが数年後、見事に自分の将来を担うことになろうとはその頃の彼には思いもよらなかったが、鍵盤を弾いている間だけは呪いにも似た自分の出生と人生を省みる必要もなかった為、彼の鍵盤に対する才が他者より軒並み外れていくのは必然でもあったのだろう。
貴美男は若くして同い歳の青臭さの残る少年たちとは違った佇まいと容姿を持っていた為、勉学も秀でていてルックスも良いとなれば目ざとい女子生徒からお声が掛からないはずもなく、交際と言うものも、性の交渉も誰よりも早かった。
ただ貴美男はどこかで気づいてもいた。
己が女性を抱く時に、若さゆえの情欲の捌け口としてその折々の彼女たちとまぐわっていようとも、どうしたものだか脳内は常に冷静で、これと言った興奮や感動というものにはすぐ飽きたように冷めてしまう。
友達が居なかった訳ではない彼の思春期において、気の置けない友人とあの女がどうだとか、年齢ゆえに避けては通れない性の話題にも今ひとつピンと来ず、どこか下世話だなと腹の底では同級生の男子たちを腹の底ではせせら笑ってさえもいて、同様にそんな彼らが可愛いなと思ってもいた。
『そんな自分はきっと、満足に親を持たずに生きてきた身の上、歳のほど変わらない彼らのような健全な思考や感覚は共有できない、俗に言うキチガイか、医学的に自分の脳をカッ捌けばどこかに障害でもあるような生き物なのだろう』と10代も半ば頃には悟り切ったように生きてきたのだ。
そんな彼が同性への飽くなき欲望に開花するのは17の頃。
水泳部に所属していた彼は夏合宿と言うものに参加した地方の宿で、消灯も過ぎた頃、血気盛んな上級生下級生と混じってこれまた下世話な性の話しに興じていた折に、じゃんけんで負けた者は勝った者の性器をサランラップ越しに舐めると言う若さが行き過ぎたゲームにおいて貴美男が勝者となり、下級生からその手解きをされた際に異様なまでの興奮と、脳を揺さぶる非常に禁忌で背徳的なその行為に一瞬で虜となったのがきっかけだった。
どんなに悟った風に生きていようとも、歳はまだ若い。
貴美男は気取られてはならないと、その罰ゲームの間、同じの部の部員たちと「本当にやってるよ」と嘲りの笑いを交えて談笑しながら、気持ち悪いから洗ってくると部屋を抜け出した先、トイレの個室の中で先ほどまで下級生が自分の一物を口に含み舌先をいやらしく動かしていた感触とその光景を瞼の裏で何度も繰り返し再生しながら、2度も3度も自慰に耽り射精をしたのだった。
その時に、そんな擬似的な性の交渉を持った下級生も、後で話しを聞けばまんざらでもなかったと言う風だったので、二人が肌と肌を重ね、同性同士の性交渉を手引き書もなしに何度もこなし、高校生活の残りをすっかり彼との色と欲に溺れたのだった。
正確に言えば、当時の貴美男がその下級生に抱いた感情が身体を重ねすぎた故にやがては過剰なまでに情が移り、それを色だの愛だのと錯覚していたのか、はたまた真実の愛だったのかは定かではない。
卒業も間近になると、その下級生と本当に付き合わないかと貴美男は打ち明けたが、やはり自分は女の子との交際を望むと下級生は言うので、人生で初めての重い失恋も春の訪れと同時に味わうこととなる。
貴美男は成績優秀ではあったが、卒業間近のそんな失恋の痛手もあり、大学には進まなかった。
音大に興味こそあったが、親を持たない貴美男にはその入学金や、進学してからも掛かる費用の額があまりにも膨大であり、かつての孤児院の育ての親である仁科幸恵に相談すればお金を多少なり工面してくれたり、それ相応の手続きを踏んでくれたのかも知れないが、高校も終われば俺は本気で独りで生きねばならないのだと強く心に誓っていたので、進路をどうするのかと、まるで自分の事のようにおろおろと心配する担任や周りの教師の意見は無視し、「とりあえず、働きに出ます」と高校在学中からアルバイトをしていた企業に正規に雇用してもらう形でまとめたのだった。
企業とは言っても、大手と言うよりは中小企業の飲食チェーンの社員で、やればある程度は器用にこなせてしまう貴美男にはそんな日々は退屈と次第に感じるようになり、自分の中で今後の身の振り方を考える上での必要金額までをそこで稼ぎ出すと、3年もしない間に離職した。
辞めてからしばらくは職にも就かずふらふらとゲイ向けの歓楽街を夜毎遊び歩き、悠々自適な暮らしを謳歌していた。
これは、その頃の彼の切なくも哀しい人生の一ページを綴った物語である。
白み空 紅き血潮の向こう
「はぁ、はぁ…」
男はある街の郊外、まだひと気のない街並みを息を切らし、脚を引きずりながら、何かに憑かれたような様子で彷徨っていた。
その顔には酷い青痣があり、口元からは一筋の血も流れていた。
泣き腫らした瞳からはもう涸れ果てる程に流した涙を更に止めどなく流し、息切れと供に嗚咽を漏らしながら彼は行く。
自分の行く当てなど当にこの世にはないと知りながら、それでも彼は燃える眼で世界を睨みつけていた。
やがて彼は朦朧とした意識の中、息も絶え絶えに電信柱に背を預け、膝を抱えて泣き伏せる。
「畜生、ちくしょう…」と震える声を上げ、その両の手に己の爪が食い込む程に強く握りしめながら。
彼の名前は、神田貴美男。
この時、22歳。
この物語は、彼が中嶋勝と知り合うまでのあの晩から遡ることおよそ三年の年月を前にした物語である。
貴美男は実の親から見放されてしまった孤児院での暮らしを、高校に進学と同時に一人暮らしを始めると言う形でピリオドを打ち、成績優秀、一時は教師の満場一致を買って生徒会長にと頼み込まれる程の品行方正、勉学の模範と言うような絵に描いた優等生だったが、それは、彼がこの先の人生を独りで生き抜いて行くしかないと思春期よりも以前に腹を括っていた自分の為の生き様であった為、自分にはそれは向いていないと押し寄せる大人たちの嘆願をものともせず、それよりも趣味の鍵盤を打ち鳴らすことに日々を費やしていた。
それが数年後、見事に自分の将来を担うことになろうとはその頃の彼には思いもよらなかったが、鍵盤を弾いている間だけは呪いにも似た自分の出生と人生を省みる必要もなかった為、彼の鍵盤に対する才が他者より軒並み外れていくのは必然でもあったのだろう。
貴美男は若くして同い歳の青臭さの残る少年たちとは違った佇まいと容姿を持っていた為、勉学も秀でていてルックスも良いとなれば目ざとい女子生徒からお声が掛からないはずもなく、交際と言うものも、性の交渉も誰よりも早かった。
ただ貴美男はどこかで気づいてもいた。
己が女性を抱く時に、若さゆえの情欲の捌け口としてその折々の彼女たちとまぐわっていようとも、どうしたものだか脳内は常に冷静で、これと言った興奮や感動というものにはすぐ飽きたように冷めてしまう。
友達が居なかった訳ではない彼の思春期において、気の置けない友人とあの女がどうだとか、年齢ゆえに避けては通れない性の話題にも今ひとつピンと来ず、どこか下世話だなと腹の底では同級生の男子たちを腹の底ではせせら笑ってさえもいて、同様にそんな彼らが可愛いなと思ってもいた。
『そんな自分はきっと、満足に親を持たずに生きてきた身の上、歳のほど変わらない彼らのような健全な思考や感覚は共有できない、俗に言うキチガイか、医学的に自分の脳をカッ捌けばどこかに障害でもあるような生き物なのだろう』と10代も半ば頃には悟り切ったように生きてきたのだ。
そんな彼が同性への飽くなき欲望に開花するのは17の頃。
水泳部に所属していた彼は夏合宿と言うものに参加した地方の宿で、消灯も過ぎた頃、血気盛んな上級生下級生と混じってこれまた下世話な性の話しに興じていた折に、じゃんけんで負けた者は勝った者の性器をサランラップ越しに舐めると言う若さが行き過ぎたゲームにおいて貴美男が勝者となり、下級生からその手解きをされた際に異様なまでの興奮と、脳を揺さぶる非常に禁忌で背徳的なその行為に一瞬で虜となったのがきっかけだった。
どんなに悟った風に生きていようとも、歳はまだ若い。
貴美男は気取られてはならないと、その罰ゲームの間、同じの部の部員たちと「本当にやってるよ」と嘲りの笑いを交えて談笑しながら、気持ち悪いから洗ってくると部屋を抜け出した先、トイレの個室の中で先ほどまで下級生が自分の一物を口に含み舌先をいやらしく動かしていた感触とその光景を瞼の裏で何度も繰り返し再生しながら、2度も3度も自慰に耽り射精をしたのだった。
その時に、そんな擬似的な性の交渉を持った下級生も、後で話しを聞けばまんざらでもなかったと言う風だったので、二人が肌と肌を重ね、同性同士の性交渉を手引き書もなしに何度もこなし、高校生活の残りをすっかり彼との色と欲に溺れたのだった。
正確に言えば、当時の貴美男がその下級生に抱いた感情が身体を重ねすぎた故にやがては過剰なまでに情が移り、それを色だの愛だのと錯覚していたのか、はたまた真実の愛だったのかは定かではない。
卒業も間近になると、その下級生と本当に付き合わないかと貴美男は打ち明けたが、やはり自分は女の子との交際を望むと下級生は言うので、人生で初めての重い失恋も春の訪れと同時に味わうこととなる。
貴美男は成績優秀ではあったが、卒業間近のそんな失恋の痛手もあり、大学には進まなかった。
音大に興味こそあったが、親を持たない貴美男にはその入学金や、進学してからも掛かる費用の額があまりにも膨大であり、かつての孤児院の育ての親である仁科幸恵に相談すればお金を多少なり工面してくれたり、それ相応の手続きを踏んでくれたのかも知れないが、高校も終われば俺は本気で独りで生きねばならないのだと強く心に誓っていたので、進路をどうするのかと、まるで自分の事のようにおろおろと心配する担任や周りの教師の意見は無視し、「とりあえず、働きに出ます」と高校在学中からアルバイトをしていた企業に正規に雇用してもらう形でまとめたのだった。
企業とは言っても、大手と言うよりは中小企業の飲食チェーンの社員で、やればある程度は器用にこなせてしまう貴美男にはそんな日々は退屈と次第に感じるようになり、自分の中で今後の身の振り方を考える上での必要金額までをそこで稼ぎ出すと、3年もしない間に離職した。
辞めてからしばらくは職にも就かずふらふらとゲイ向けの歓楽街を夜毎遊び歩き、悠々自適な暮らしを謳歌していた。
これは、その頃の彼の切なくも哀しい人生の一ページを綴った物語である。
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by cogo3358
| 2017-04-07 18:01